Toby Elliot氏のblogでアナウンスされた、戦闘開始ステップにおける優先権のやり取りについての記事の和訳です。
訳者はジャッジを読者として想定しています。

原文はこちら
http://blogs.magicjudges.org/telliott/2016/10/18/do-not-pass-go/
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ここの所、戦闘を迎えるための手順についての質問が鎌首をもたげているようだ。僕の考えでは、機体の存在によるところが大きいように思えるけど、コイツらはミシュランと全く同じで、こういう議論は今まで全てのフォーマットでしばしば見かけられていたものだ。でもみんながまた話題にしてくれている良い機会だから、なぜこのような手順の省略を存在させているのか、実際はどのように機能するのか、そしてここに非常に厳しい基準が設けられているのかを説明しようと思う。
ケヴィン・デプレがこの辺を掘り下げた素晴らしい記事( http://blogs.magicjudges.org/whatsupdocs/2016/05/26/attacking-blocking-and-shortcuts/ )を書いてくれている。これを読むことをお薦めする。この記事と同じ意見を補強しつつ、さらに、僕の考え、さらなる背景、ケヴィンが記事を書いてから湧き上がった混乱への回答を追加して補っていきたい。
いまこの手順の省略を知るプレイヤーに、この省略のルールを知ることが及ぼす影響について要約すると: アクティブ・プレイヤーは戦闘開始ステップでこれから何を行うのか宣言せずに優先権を要求することはできない、だ。アクティブ・プレイヤーは彼らが宣言した状況を作り出した後で、優先権を放棄するものとして仮定される。
一つ、僕が思うに、重要で強調されるべきことは次の通りだ。ときおり不平不満が漏れ聞こえてくるにもかかわらず、物事は順調に機能している。不満のうちのいくつかは誤解や質の悪い情報によるもので、そういったものを後段で取り上げるつもりだ。現行のルールは自然にプレイされており、ゲームをプレイする上で問題が浮き上がってくることはまれだ。異論のほとんどは空論で、技術的にこれこれこういったことが可能である、という要素を話題に取り上げたものであり、本質的に取り合う価値があるほどのものではない。


なぜ配慮するのか、歴史を手短かに

マジックの先史時代に戻ろう。当時は次のようなやりとりが一般的だった。
"戦闘?"
"アイシーマニピュレータで《鉄爪のオーク》をタップするよ。"
"オッケー、タップした。で、まだ僕のメイン・フェイズだよね。《ボール・ライトニング》をキャストするよ。戦闘?"

古生代には、このやりとりのもうちょっと微妙な派生形がある。
"戦闘?"
"《謎めいた命令》をそっちのクリーチャーに。"
"オッケー、解決した。じゃぁ《変わり谷》を起動してアタック"

わかるかな?これは全く問題なさそうに見えるからこそ、卑怯なものなんだ。じゃぁ、上の脚本をひっくり返してみようか。

"戦闘?"
"どうぞ"
"《変わり谷》を起動して、一緒にアタック"


"戦闘?"
"どうぞ"
"このクリーチャー達でアタック"


今度はわかったかな?アクティブ・プレイヤーは曖昧な表現を用いて、優先権を放棄するタイミングを追加で得ようとしている。そして、非アクティブ・プレイヤーがこのやりとりから身を守るためには、極端に厳密な手順でゲームを進めるしかない。アクティブ・プレイヤーが自分のクリーチャー達と《変わり谷》を一緒に攻撃させる場合には、非アクティブ・プレイヤーに先に行動すること(もしくは、そのようなことが起きないように非常に厳密な単語を使用すること)を強制させることができてしまうし、また、対戦相手がトリックを持ってない場合には恩恵を得てしまう。

別の言い方をしてみよう。《謎めいた命令》を持っている非アクティブ・プレイヤーは、命令をクリーチャー達の攻撃に使うのか、《変わり谷》の攻撃に使うのか(もしくは、アクティブ・プレイヤーが欲深かなら両方に)、選択できるべきだ。アクティブ・プレイヤー側の選択肢は、《変わり谷》を起動するのか(こうすると、《謎めいた命令》に吹き飛ばされるリスクはある)、他のクリーチャー達だけで攻撃するリスクを負うのか、であるべきだ。でも、優先権の曖昧さはこの前提をひっくり返してしまう。
このようなプレイの仕方の有り様は、僕らが推奨するものじゃないけど、推奨したい有機的なプレイはしばしば曖昧なコミュニケーションを作りだす。日本語を話すプレイヤーとドイツ語を話すプレイヤーは、ほんの少しの基本的な用語を共有するだけで、マジックのゲームを遊ぶことができるべきだ。トリッキーな言い回しで思ってもいないことをやらなければならないような状況に導かれることがないよう、絶えず警戒する必要がある、なんてことは、いかなるプレイヤーの上にも起きるべきじゃない。


根底にある二つの理念
非常にまれな例外を除いて、非アクティブ・プレイヤーはアクティブ・プレイヤーのメイン・フェイズに行動したいとは思わない。

実際のところ、そうだろう。そして、メイン・フェイズになにか行動したい時は、アクティブ・プレイヤーがこれから戦闘で行おうとしているところを遮って、メイン・フェイズに行動したいことをはっきりと言うだろう。非アクティブ・プレイヤーは君が攻撃クリーチャーを指定する直前に(可能なら)行動したいはずだ。
非アクティブ・プレイヤーに、君が優先権を持っているゲームの状態を進めて、君が優先権を持っている状態にするための許可をいちいち取るのは時間の無駄だ。そこには、完全に何もないのか、非アクティブ・プレイヤーを戦闘フェイズの最中だと混乱に陥らせてメイン・フェイズに何かしてしまうかのどちらかしかない。さらに、非アクティブ・プレイヤーは基本的にはインスタントか能力を起動するくらいしか相互作用を及ぼすことはできないので、アクティブ・プレイヤーにとってメイン・フェイズに行動することと戦闘フェイズに行動することに機能的な違いが発生することはまれだ。これらの2つ("ドロー、機体に搭乗して、アタック?")は大抵の場合アクティブ・プレイヤーは分けない、というのは通常のゲームからもわかる。ターンを進める上で、優先権を保持したままにする、というのは(大抵の場合)意味がなく、APがやむを得ずそうする理由があるなら、実演する必要があるだろう。
非常にまれな例外を除いて、アクティブ・プレイヤーは先に行動をはじめる重責がある

マジックはこのようにして構造化されている。アクティブ・プレイヤー、ターンの流れを全て支配する者、は彼らの手札を先に晒さなければならない。この責任から逃れることは、非常に大きな利益をもたらす。僕らはしばしば、対戦相手の反応を釣り出そうとするプレイヤーについて話しをすることがあるけど、このような行為は行動を伴って行われるべきだ。アクティブ・プレイヤーが行動しないことによって対戦相手の反応が釣り出されるなんてことは可能であるべきではない。
前述した、"ドロー、機体に搭乗して、アタック?"は仕様で、バグではない。これは僕らがプレイヤーに望むプレイの仕方で、アクティブ・プレイヤーの重責を保持しつつコミュニケーションを簡素なものにしている。厳密にいうと、言い回しを不正に利用するための曖昧さは存在しないし、より自然な、プレイのスタイルが好ましく、推奨される。

これらの"非常にまれな例外"
そう多くない状況で、アクティブ・プレイヤーが何をしたいのか見せずとも戦闘開始ステップに移りたい理由が存在することがある。もっとも一般的なものは、非アクティブ・プレイヤーがマナを浮かせている場合だろう。この状況では、全てのアクティブ・プレイヤーは、なぜ優先権マーカーを動かすことに関連があるのか説明する必要がある。"戦闘に行く前に、その浮いてるマナで何かする?"は、戦闘開始ステップに明白に移行しつつ優先権を保持する納得のいくやり方だ。
責任の文脈でも筋が通る。浮いてるマナによって、先に行動をはじめる重責は非アクティブ・プレイヤー側に移っている。この逆転はコミュニケーションを動的なものにして、非アクティブ・プレイヤーではなくアクティブ・プレイヤーが行動を要求することが合理的なものとなる。


そう、君は戦闘開始ステップに行動できる
一つの混乱が生じていて、それは、手順の省略の考えが意味するところとして、アクティブ・プレイヤーは戦闘開始ステップに何もできない、というものだ。これは全くの誤りで、概して、デフォルトの仮定は、プレイヤーは論理的にゲームを進めている、というものだ。例えば、プレイヤーがアンタップして、ドローして、《鋭い突端》を起動した。プレイヤーは何も言ってないけど、その他の情報が何もなくとも、通常、僕らはその時点で戦闘開始ステップであるという意見に同意する。(はっきりさせておくと、プレイヤーがそうしたい場合に、だ。この時に攻撃クリーチャーの指定まで移った、とみなすことはない。)
プレイヤーが自分の戦闘開始ステップで何かすることが明らかな場合、彼らはただそう言えばいいんだ!"戦闘開始ステップに、《さまよう噴気孔》を起動したい"は、許可されるってだけじゃなく、推奨されるものなんだ。アクティブ・プレイヤーは、彼らが先に行動をすることを認めており、そのことが何を起こすのかはっきりとさせている。


誘発型能力はまだ存在している
戦闘開始ステップに移行する際、通常は、非アクティブ・プレイヤーが優先権を持っている。この時点で、誘発型能力は一切忘れられていることを意味しない、ということを理解するのは重要なことだ。非アクティブ・プレイヤーが優先権を返した後で、"オッケー、《模範的な造り手》の誘発型能力が解決したよ、じゃぁ《改革派の貨物車》に搭乗するね"っていうのは、たとえ非アクティブ・プレイヤーが何が起きるのかわかっていなかったとしても、ゲーム上で問題のない水準だ。このやり取りで、そこに存在しないはずの優先権が発生したりはしない。
しかしながら、ひと言付け加えておきたい。対象を要求する誘発型能力は、戦闘フェイズに移行する際に示されなければならないものの内の一つだ。なぜなら、対象を伴う誘発型能力は、優先権の受け渡しを行う前に示されなければならないからだ。


で、なんで戦闘開始ステップに優先権を保持するための明白な言い回しは無いの?
この文章が、そういうのが必要ないって説明の助けになってくれれば良いんだけど。より重要なのは、そういう言い回しを設けることを許容すると、みんなが曖昧さの上でプレイしているんだってことに気付くんだろうということだ。僕らは、考えた基準線で許容できるようにすることには興味がない。究極的には、マジックは戦略的な思考のゲームであるべきで、文法の演習ではないし、そのような厳しい基準線はゲームを劇的に改善するものではない。この手順の省略を取り除いたり緩めたりするための議論の一つは、"誰もそういうやり方はしない"、だ。でも、そのための理由ならある!
いうまでもなく、ルールはなにが言われたのか(プレイヤーが同意しなかろうが)を正確に解釈させる。ひょっとしたらフランス語でもね。


MTRはこの姿勢を明確に支持してはいない
賛成する。そう、MTRは反論していない。でも、長年の間、MTRに示される最も厳しい基準線の姿勢を採用し続けてきた。僕はずっと、隠された言い回しで試す価値のあるものは本当にないのか、この手順の省略ではっきりさせられないのか再検討をし続けている。この作業ではっきりしたのは、尖端には何もないってことで、そう多くない人たちがこの挑戦に魅せられているってことだ。

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